98 99 2000 ⇔ 2001
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12/31(月)

この日記で今年一年の反省や、来年の抱負をいろいろと真面目に語る

のは どうも違う気がしますが(笑) とりあえず来年は頑張って 小説もど

きやコラム?…その他の部分もイロイロ書きますんで、また よろしゅう

たのんます! (^o^)丿 (特に手付かずの部分を重点的に)

日記としては、まあ “オーディオ”の音的な事もそうですが “ビジュアル”

にも手を伸ばしてみたいっすね。特にBSデジタルハイビジョンなんかは、

『 良く名前を聞くけど “綺麗なテレビ” のことでしょ? 』 くらいの認識

の人が95%だと思うので 一度キチッとやりたいっす。(見ないと損だし)

後はまあ … ボチボチ時事ネタとか … 音楽ネタもやりたいなぁ …

あ、そうそう さっきまで紅白を見ていたんですが (内容的なものに関す

る罵詈雑言は去年散々書いたので(笑)) 女性歌手、特に若い人の歌の

時に 『 サ 』 や 『 シ 』 の音がやけに高くて耳についた人はいませ

んでしょうか? (耳が痛いと言うか、顔をしかめたくなる刺激音)

ラジオやテレビの電波と言うのは 送ることのできる情報に限度があって

音も映像も送らなければならないテレビは特に大変。 歌番組の音楽も

CDなんかと比べるとかなり音質は落ちます。 映像が派手なのでいっしょ

に見ていると良い音に聞こえる事もあるかもしれませんが、絵がないとか

なりツライ音です。 それにテレビについているスピーカーと言うのはたい

ていオモチャみたいなのが多いので まともな音が再生できないと言うの

もあります。

そこでラジオ局やテレビ局などの放送局は、狭い容量の中でやりくりして

も 良い音に聞こえるように、より聞きやすく、気持ちの良い音に聞こえる

ように … 音に特別な加工をすることがよくあります。 有名なところで

はOPTIMOD(オプチモッド・オプチモード)と言う機械を使って、音を変化

させます。 簡単に言うと … ふんわり、ふっくら やわらかい感じにする

事が多いようです。 (普通の人が“良い音だなぁ”と思いやすい…好まし

い音にするという事) ラジオを聞いていて、すごく気に入った曲があって

それを買って来たんだけど、CDで聞いてみたらどうもいまいちだった。

感動できなかった … なんて記憶がある人もいるかもしれませんが、そ

ーゆー時には こいつが悪さ(笑)をしているかもしれません。 放送局に

よって設定の仕方などを変えたりもするみたいなので、 案外 “局ごとに

音の傾向が違う” と言うこともあります。 … しかし、ここで本日放送中

のNHK紅白歌合戦は どうもこの手の “細工・加工” をほどこした音で

はないと思われます。(NHKがOPTIMODを使ってるとか聞いた事はな

いし…勘違いかもしれんが) つまり 会場の音。 生の音をあまり細工

せずに(もちろん少しは変化させている) 放送しているので、ある意味で

“お化粧された音” ではありません。 どんなへっぽこテレビのスピーカ

ーでも良い音っぽいものが ・・・ とはいかないでしょう。 特にテレビの

スピーカーは大きさが小さいので 低い音が出ず、そのままの音が放

送された場合 比較的出しやすい高音ばかりが放出されて 目だってし

まって耳が痛くなることがあるのだと思われます。 (レコード大賞と聞き

くらべたら違いがわかるかしら?(笑))  もし 紅白が耳障りでやだなぁ

最近の曲はキンキンするなぁ とお思いの人がいましたら、リモコンで

“モノラル” に変えてみるか、 ラジオでNHKにチューニングを合わせて

まともなスピーカーで聞いてみると ガラッと印象が変わるかもしれませ

ん。(ラジカセとかウォークマンじゃだめかもしれないけど。(^_^;))

・・・ ともあれ、今年の最後も このように思いつきトークで終わろうとし

ているこの日記(笑)  ま、どこまでやれるかわかりませんが、ぼちぼち

行ききますんで、お暇があったらまた、 覗いてみてくださいませ。m(__)m

・・・ それでは年越しチャットに起こしになれないみなさん、この場を借り

て 今年一年ご愛読ありがとうございました。 来年も変わらぬご愛顧を。

 

12/28(金)

毎度毎度の滑り込みセーフでスタートした “クリスマス企画” どうなる事

やらと心配していましたが、概ね好評だったようで … 少し安心しておる

今日この頃。 そもそも “決められたお題を元に作品を作る” と言う話

は、 “エヴァ小説学校みたいなサイトを作るとしたら…” と言うような内

容の中から出て来たわけで … 厳密に言うと今回の企画とは趣旨がち

と違うわけです。 しかしまあ 採点する資格のある(笑)先生もいないわ

けですし、せったく作ったものを こんなのはバカだチョンだと人に言われ

るのも面白くない。 そもそも人が勉強(?)している姿を人に見せるのは

カッコ悪くてナンセンスではないか? と言うような感じで 今回のような

“笑点形式” にしてみたと言うわけです。(にしては答えが長すぎるような

気がするのもあったが(笑))

べつに笑いをとろうとか、そういう意味ではなく … まあ “姿勢” として

作者より読者寄りと言うわけで、 本来ならば 『 ○○さんの作品は、こ

こがこうなるともっと良いよね 』 とか 『 僕は○○さんの作品のここに

こういう可能性を見た 』 とか ああだこうだと反省会をしつつ、明日の

肥しにするべきなのでしょうが そーゆー “内輪ネタ” は目立たないチ

ャットの隅でやりつつ とりあえず見やすい場所に大手を振って掲載する

のは 『 人に見せられるもの 』 でありたいと言う 当サイトの融通のき

かない信念に基づいた結果であるわけでやんす。 (つまり笑点のメンバ

ーは皆、“大善利” と言う舞台の本番で 練習をしているわけではないと

言う事) まあ 難しい事はさておき、どうせ読むなら凄いものが読みたい

じゃないかと言うだけの事ではあるのですが。(^_^;)


それでまあ今回、続々と届く作品を見て(読んで) いろいろと考える事

や、わかった事と言うのがありましたが その中で特に一番強く感じたの

は “形式をどのくらい意識しているか” と言う事であります。 つまり、

○○を使え ○○と言う単語を必ず取り入れろ ○○を舞台にしたシーン

を必ず入れろ と言われた場合、 ある人は 『 いかにそのシーンや単

語を鮮やかに、大胆に、予想外に、美しく、驚くような展開で、繋げてゆく

か? 』 に重きを置き … またある人は まるでそんな単語やシーンな

どの制約を気にせず書いている … と言った具合です。 わかりやすく

言うならば 前者は常に 『 お題 』 を気にして(縛られて) 今回のコン

セプトに ある意味忠実に挑み、 後者は自分の書きたいこと、表現した

い事、主張したい事を描き、後から思いついたように(ある意味では仕方

なくといったイメージで) お題をたどっているように見えます。

もちろんそれは どちらが正しいとか、面白いとか、素晴らしいとか、上手

いとか言う話ではなく … その作者の良い意味での気の弱さ、 勤勉さ

(真面目さ) 小説を書くうえでの信念(?)みたいなものを少し感じさせて

くれるわけです。(小説を書くと言うのは、作者が素っ裸でとおりを歩くよう

なものだ) 

そんなわけで “面白い” とか  “楽しかった” と言うのは一番大切な事

ではありますが、ある意味では当然の事であって … それとは別に今回

の企画をあえて “技巧” とか “勉強” みたいな視点で見てみると、ま

た別の … 違った見方ができるんじゃないかなと言う事なんであります。

んで、作者の魅力をさらに引き出し …ある意味で次のステップ、もっと

違う世界を広げるためには 『 お題の出し方 』 もさらにグレードアップ

させる必要があるんだろうなぁ… などと最近ぼんやりと考えております。

まあ クリスマスは終わったから 今度は 『 お雑煮、 お年玉、 着物、

人のいない街、 来ない年賀状 』 を使ってお話を作れとか、 『 途中

に必ず初詣の神社でシンジの姿を探すレイとアスカのシーンを入れた

物語を作りなさい 』 とかやっても良いかなぁと 安直には思うのですが

そうした超形式的、機械的な制約とはまた別に … もっと根本的な制約

を設けたほうが ある意味では 『 面白い事 』 になるんじゃないかなと

思ったりします。

さきほどの  ”人によって書き方が違う” と言う話とも微妙にリンクする

のですが、 “根本的な制約” とはつまり “主題” と言う事です。

と言っても ホラーを書けとか、ラブコメを書けとか言うわけではなく …

もっとメッセージ的な事。 例えば  “アスカと言うキャラクターを使い、

女性のしたたかさ、女性ならではの現実感を表現し、それを読者(主に

男性)に印象付けるような物語を作りなさい” とか “読了後に シンジと

言う少年を通して 読者が現代社会における精神的貧しさ、言いようのな

い閉塞感などを感じる物語を製作せよ” … とか言う感じ。 聞いている

と “何が面白いんだ、そんなもん” と思われてしまうかもしれないが(笑)

主題と出来上がった話の面白さは別であり、面白くするのも 悲しくする

のも 不快にするのも作者の腕しだい。 笑いの中にそれらを表現する

か、 奈落の底のような物語の果てにそれを表現するか? は 人それ

ぞれになり、それがまた面白いわけです。 

しかし “主題を誰か他の人に決められてしまう” と言うのは ある意味

物凄く恐ろしい事でして (何かを作ったことのある人ならわかると思う)

… とてもじゃないけれど、一文字もかけないほど “難しいお題” になっ

てしまう可能性もあります。 例えば常日頃 『 性善説※ 』 を信じて

いる人がいきなり 『 読んだ後に人間の性悪説を信じたくなるような話

を書け 』 と言われたらしばらく考え込んでしまうだろう。(笑) もっとわか

りやすく言うなれば 『 アスカ×シンジのカップリングが大好き! 』 と

言う人で いつもそういうお話を読んだり書いたりしていたのに ある日

突然 『 誰もが リツコ×シンジってカップリングも良いな … と思える

ようなお話を作れ 』 と言われたら困ってしまうのと同じ。 もちろん私だ

って、 『 ミサトは実はシンジの事が大嫌いだったんだな、と思える話を

書け 』 と言われたら しばらくこの世のものとは思えないほど悩んだ顔

で過ごさないといけないだろう。

つまり お題によって難易度がどう変わるか? は 私ごときにはよくわ

からないが、 形式的な制約が増えまくったからといって 難しい宿題に

はなりえないと言う事だ。 つまり “にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、林檎

牛肉を必ず使って美味しい料理を作れ” とか言われてカレーを作るより

ただ単に “美味しい料理を作れ” といわれたほうが難しい場合もあり、

“今日の晩御飯何がいい?” “なんでもいーよ、美味しいやつ!” と言

われるのが この世で一番むずかしく、なんでもよくないのと同じである。

それはつまり書く人の中の “味覚” “イマジネーション” “美味しい観”

“季節感” “経済感覚” などがフルに試され、評価されているからであ

り、 まあ その項目が多くなって責任が増えるほど 宿題としては難しく

なっていくのかもしれない。

もちろんそう言った意味で考えると 『 制約がゼロ 』 つまり何も決めら

れていない。 そもそも宿題なんて何も無い状態が 『 一番難しい 』 と

言う理論に発展してしまうが、それは正しいと少なくとも私は思っている。

けれども “何の制約のない状態” は “何をやっても良い” と言うわけ

ではなく … 『 好き勝手にできるから一番楽じゃないか 』 と言うのは

少し違うと思う。 つまり 自由な空間の中に 自らが持つ信念とかメッセ

ージとか そういうまあ “書く事の動機” を 自分自身で宿題として、お

題として設置するからこそ “制約がゼロ” の状態が初めて難しくなるの

である。 そして他のどんな制約よりも 自分が自分の作るものにたいし

て厳しければ厳しいほど、その自由な状態はさらに難しくなるワケだ。

だが それは恐らく物凄い理想論で、少なくともこんなネットの片隅で、

小説ごっこで遊んでいるバカが垂れて良い話でもないなとも思われる。

てめぇの軟弱振りを他の人と一緒にするなと言われてしまいそうではある

が、ゆるがないモノを持って痛烈な作品を作り上げるのは普通の人には

シンドイ事だ。 だからこそ 人が決めたものであれ、気を抜くと自由気ま

まに流れてしまいそうな自由な空間に、 ひとつのルール。 お題を決め

て物語を作ると言う事は … 面白いお話を作り出す事、そして それを

書く者の技術を向上させるのに ある程度効果があるのではないかなぁ

… と、 クリスマス特設ページを見ながら考える年末なのでした。


… あ、そうそう メールを見て意外に気がつかない人が多くてビックリしましたが、“阿寒
岳まりも” とかゆー輩は実は私(ほくま)です。(笑)『 A 』 のレイのお話は別に良いので
すが、 『 B 』 のミサトのお話に参加表明をしてくださっていたけれど、やむおえない理
由でコースアウト(笑)してしまった方が何人かいらっしゃって、 『 このままじゃあ、数もボ
リュームも “A” と比べて “B” のほうが貧相だなぁ 』 と思って急遽書きました。(笑)
なにせ23日の昼ごろに決めたのでどんなに急いでも24日には書ききれなくて、25日にク
リスマス企画がずれ込んだと言うのが裏話だったわけです。 なにせ自分で出した(?)お
題に自分で書くのもアレなので名前を変えてみたわけです。(まりもの事が知りたいなら大
運動会関係を責めよう!) にしても時間がなくて話も量もメチャメチャ(笑) ホントはあの倍
くらいの量にしたかったのですが まあ 偽名でよかったなぁと。 … 失礼しました。(^_^;)

※人は皆“聖人”になれると言う前提から、人間の生まれ持った性質は“善”だとし、
後天的な影響によって“不善”にもなり得ると言う考えと、人間の生まれ持った性質は
“悪”だとし、後天的な影響によって“善”にもなり得ると言う考え。
ちなみに性善説は孟子。性悪説は荀子。