98 99 2000 ⇔ 2001
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11月1日〜18日11月19日〜30日

  

 

11/30(金)

もう嘆く気力もないほど滞っているこの日記。 誠に申し訳ないと思う一方

で 『 なるほどなぁ 』 と思う事もある。 それは一重に 『 感覚が麻痺

する事 』 についてだ。 ほぼ毎日のように日記を書いていたり、更新し

ていたり、メールのチェックをしている期間は 一日それが滞っただけで

も 激しい焦りにかられ、何か重大な事を忘れたような気持ちになるもの

だが、それが 3日 … 4日 … 5日 … と伸びてゆくとその欠落感

と危機感も右肩上がりに薄くなってしまうのである。 もともと更新は一週

間に一度 とか言うスタンスを決めているサイトはそういう事は少ないの

かもしれないが、意図的に無理を覚悟で情熱的に(?)運営して 客観的

に自分のサイトを見られない(クレバーさのない)サイトは ある日突然

更新が途絶えて 『 はい、さようなら 』 になってしまう事が多いのだろ

うと想像できる。 であるからして 毎日のように活発に更新されていたの

に一週間ぽっかり穴が空いたり、一ヶ月音沙汰がなくなり始めたサイトは

非常に危ない。 もちろん自分に言っている率85%なのだが(笑) 危な

いも何も よく考えるとこの 『 COCHMA WEB STATION 』 は97年

あたりからやっているわけで … 今更消えるも何も無いような感じであ

あろう。 忙しいとか飽きた(?) みたいな平凡な理由で店じまいがある

のなら、とっくの昔に潰れているハズだ。 (^_^;) まあ マンネリ夫婦の倦

怠期みたいなもんかな。(違うか(笑))

そんなわけで、気合を入れなおしてイベントその他に備えなければなりま

すまい! (もちろん俺的なノルマの処理も含めて) 頑張ります〜!!

でも 金曜日の夜なので 暇な人はチャットにもどんぞ〜 (笑) 

 

11/24(土)

与太話はたまにはチャットで 生でどうぞ。(笑) (手抜き)

 

11/21(水)

The walk of a wind                                       

 

 


〜 風のとおりみち 〜

 

 

ベットタイムサウンズの後編は明日に回しまして (笑) 

今宵は枯葉舞い散る秋の散歩と洒落込みましょう。

 

東京は武蔵野市 …

ビルと排ガスの街からほんの少し離れて、田舎と都会の入り混じる

不思議な景色に誘われながら自転車を転がしていたら、

いつのまにか森の中に迷い込んでおりました。(マジ)

 

 

その名も “井の頭公園(いのかしらこうえん)”

ワニが出ただの、 乗ると別れるボートがあるだの、

くだらない事で有名ですが、 東京とは思えないほど豊かな木々と水と

鳥たちが住むとても広い公園です。

 

駅で言うと吉祥寺。

お洒落な店が建ち並び … 買い物客でにぎわう街ですが、

実は道を歩けば漫画家にぶつかる “それ系” の街。

このサイトに非常に関係のある ガイナックスもこの街にあります。

 

 

美しい紅葉。

記念に 水辺の写真でもとろうかと大きな池のほとりに行ったら、

エサをくれると勘違いした鴨の大群が

水しぶきをあげて飛び掛って来たので すごすごと退散。(弱)

 

自転車のタイヤが埋もれてしまいそうなくらいの落ち葉をかき分け

進みます。

 

 

なにせ広い公園です。

周囲には整然と木々が立ち並び、どこを見ても似ているので、

気をつけないとすぐに迷ってしまいます。

 

 

『 井の頭 “公園” と言うより、 これは森だな … 』

 

と 思っていたら、

木陰に隠れるように立っている小粋なトトロの案内板を発見。

 

どうやら その美術館を建てた人も

この場所に私と同じような感想を持ったようです。

 

 

カサコソと言うより ザアザアと

まるで雨のように降る枯葉があまりに美しく、

スピードを落とし、スピードを落とし、

 

いつしか自転車を降りて歩いていると

森の切れ間にひっそりと その美術館はありました。

 

 

 

建設途中の頃に見物に行った時の感想は

“静かな所” でしたが、

完成した今回の感想もやっぱり

“静かな所”

 

ただ 前と違うのは、

子供達の楽しそうな笑い声が風に乗って聞こえて来た所でしょう。

 

いいなぁ

 

オイラも遊びたいなぁ …

 

と 思ったところで、

ジブリの森美術館は 完全予約のチケット前売り制。

 

思いつきで流されて来た私のような人間は、

正門の係の人の目を盗んで中に忍び込む事しかできません。

 

 

今がチャンス!

 

門をくぐろうとしたところ、

チケットカウンターに座る 巨大すぎるトトロが

不法侵入者を無防備な瞳で威圧していたので怖くて退散。(弱)

 

トトロと心を通わすには

自分はいささか汚れすぎてしまったのだと実感。

 

私にできることは遠くから眺める事だけです。

 

 

落ち葉を踏みしめながら、

遠くから森の中の美術館を眺めていると

 

屋上 … 空中庭園に巨大な人影が見えました。

 

半分朽ち果てているのかもしれませが

ラピュタの庭園を守っていたあのロボットが、

走り回る子供達を見下ろしています。

 

 

 

 

美術館には様々な建造物があります。

 

決して広いものではありませんが、

ガラス張りのもの。

陶器や土器でできているのかと思ってしまうような不思議なカタチのもの。

どこか異国の匂いのするもの。

 

どの建物も印象的です。

 

 

裏手に回ると人影はまったく無くなり、

子供達の声も小さく … 代わりに緑の匂いがいくらか濃くなります。

 

 

『 裏口から入れないものだろうか … 』

 

ヨコシマな考えを持ちながらキョロキョロとしていると、

何処かで見たような景色に意識を奪われました。

 

 

 

 

頭を柔らかくして見ると

“耳すま” の 聖司君のおじいさんの家に似ています。

もちろん 思い込み度1000%

 

でも 気分が良いのでとりあえずパチリ。

 

中に入れないからこそできる発見と言うのも あるやもしれません。

負け惜しみですが。

 

 

 

 

品の良い 初老のご婦人が声をかけてきました。

駅へ行く道を教えるために、森を抜け道路に出ると …

向かいのお店に 一台の車。

 

『 シトロエン 2CV 』

 

“みにくいアヒルの子” と言うニックネームで車好きの人には有名な

フランスの クラッシックな名車です。

 

御婦人と別れた後、

思わず しげしげと観察 …

 

出来すぎた偶然? 

 

お店のディスプレイ? 

 

小粋な演出?

 

それともまさか …

 

 

… え? さっきから何の話だって?

おやおや … ジブリファンがそんな事ではいけません。

 

え? 車の事は詳しくない??

そんな事は関係ありません。

 

ほら、 これですよ これ

 

 

映画 カリオストロの城には、

クラリス姫が逃げる時に使用した車として シトロエン2CVが。

そして ルパンの愛車としてご存知、フィアット500が登場しています。

 

フィアット500は 作画監督の大塚康生さんの愛車。

シトロエン2CVは 当時宮崎駿監督の愛車でもありました。

 



ちなみにシトロエン2CVの“2CV”は“ニ馬力”と言う意味。そう、宮崎作品のエンディングロールやコピーライ
トの部分に必ず登場する 彼のアトリエ&会社であるところの 『二馬力』 はここから取られたものなのだ。

 

もちろん現実の車は

アニメの中のような無茶苦茶な動きをするスーパーカーではありません。

 

しかし 日本車にはあまり無い愛嬌があり、

つい気になってしまうその独特なデザインセンスの魅力は

オーディオにおける日本製品と海外製品の落差にも似た

ある種の感慨を抱かせずにはいられません。

 



(フィアットの画像を探していたらこんな面白い企画?を見つけました。手間隙かけて
頻発する故障すら楽しむのが真髄と言われたらお仕舞いなんでしょうが。(^^;))

 

ジブリ作品と車 …

と言うか、ジブリ作品と宮崎監督の愛車の関係は深く

いわゆる “お遊び” と言うものでしょうが、

新作が公開される度に ニヤリとさせられる事も多いのです。

 

例えば 宮崎監督の現在の(?)愛車であるところの

『 アウディ A4 クワトロ 』

 

 

『 道を開くのは いつもアウディ … 』

 

などと よくCMで流れてはおりましたが、

今年の夏は “千と千尋の神隠し” で 道を開きすぎて

ついに異次元の世界への道まで開いてしまったようです。(笑)

 

 

他にも 三輪の車として有名なトライキングなど、

私としては “紅の豚” のポルコの飛行機を連想してしまうような

個性的で フォルムの美しい自動車が

宮崎監督はお好きなようです。

 

 

 

 

 

… さて

 

木々の緑や 美しい車に見惚れながら歩みを進めていたら、

風の散歩道も どうやら終りに近づいて来たようです。

 

 

 

何よりも風の心地良さ、

緑の蒼さが印象的でした。

 

お日様の時は 風に揺れる木々と枯葉の大合唱。

夜になればここは

虫や川のせせらぎの音に満ちるのでしょう。

 

 

 

 

空気が美味しくなった気がします

 

いつもの停留所にも

夜には猫のバスが こっそり来てるかもしれません。

 

 

不思議な森のお話でした。

 

 

おわり

 

11/19(月)

BET TIME SOUNDS                        

 

:中篇:        

“時間が無い” “時間が無い” と壊れたオモチャのように繰り返していて

も物事は前には進まない。 “金が無い” “金が無い” と叫んでいても、

空からお金が降ってこないのと同じである。 肝心なのはビジョンである。

時間と言うものをどういう風にとらえ、 戦い、 制し、 御するかどうか?

すべてはそこにかかっている。 戦いに勝利するためには、まず 己を知

り、敵を知る事が重要であり 基礎だ。 自分の事はまあ それなりにわ

かっているような気がするから 敵のことを知ろう。 時間とはなんだ?

食えるのか? 美味いのか? そんなもの本当にあるのだろうか?


『 この世に真に愚かなる者がいるとすれば、 それは時間に最初に気

  付いた者だ 』 と 紀元前に中国かどこかの偉いお坊さんが言った

そうだが、まことにその通りだと思う。 カチ・・・ カチ・・・ カチ・・・ と

大地震が来ようが 恋人が死のうが 自分が死のうが進みつづける時計

の針を見ていると、 これはいったいなんだろう? なんて思いやりも面

白みもへったくれもない奴なんだろう ・・・ と 思う時がある。 こんなも

のがあるから我々は何歳になっただの、 あと何年くらい生きられそうだ

の、 明日の朝は7時に起きなきゃだの、 あれこれ思いながら暮らさね

ばならないわけだ。 実に不愉快。 実に面白くない。 ・・・ たった今、

この日記を書いている私の部屋の中をブンブンと飛び回っている 名も

知らぬ このへんな羽虫はきっと 今が午後何時で、 明日の朝は何時

に起きないとマズイから、何時には寝ないといけないなぁ とか ただの

一度も考えた事はないだろう。 実に不公平である。

『 人間と動物の最大にして唯一の違いは、時間を気にする所である 』

・・・ わりかしヨサゲだが、合っていそうで 間違っている言葉だ。(笑)


 くだならい話はともかくとして、 時間の流れ(こそ)は 誰しもに平等で

永遠に普遍のものであり、 東京でも大阪でもアフガニスタンでも1時間

は1時間。 それは絶対間違いないと普通の人は思っている。 こーゆー

世間一般で言う“時間”を 物理学では “ニュートン時間” と言うそうだ。

それに代わって、 よくあかんべーをしていた 犬顔のおっさんが考えた

時間と言うのが “アインシュタイン時間” と言うもので、 これはなんで

も凄いスピードで移動したり、 凄い重力のそばにいたりすると時間の進

み方が変化して、遅くなったりすると言うものらしい。 よくSFの物語にあ

る 『 光のスピードに近い宇宙船で旅をしてきて、地球に帰ってみたら

あらビックリ! 妻は老婆に、娘は私と同じ年に! 』 みたいなアレであ

る。 いったい何がしたくてこんな発見をしたんだかは知らないが、アイン

シュタインのオヤジも人騒がせなもんである。 おかげではるか遠い宇宙

に行くお話を作るのが一苦労になった。 頭の中がこんがらがるだけなら

まだしも “光のスピードは超えられない” と来たもんだ。 ハリウッド映

画でも 日本の漫画でもなんでも、ひとたび何とか星雲のなんとか星に住

む なんとか星人と戦争をしたいと思ったら、 冷凍冬眠したり ブラック

ホールに飛び込んで ホワイトホールから出てきたりしないとダメになって

しまったのだ。 私が小学生か中学生の頃に読んだ 火浦功の小説には

光を超える、物理的に不可能とされているワープを使いたいがために

なんと 宇宙船がワープをしているあいだは、全乗組員、パイロットその

他全員が 目隠しをして “ワープなんてしていない!” “僕は何も見てい

ないぞ!” と大合唱すると言うシーンが登場していた。 つまりありえな

いワープをしている最中には みんながそれを見て見ないフリをする事に

よって ありえない法則を乗り越えようと言うメチャメチャな手法だ。(笑) 

まったく、アインシュタインのおっさんのおかげで 小説家もえらい苦労で

ある。 ・・・ しかしながら、この世界の中で 必ずしも時間と言うものが一

定のスピードで流れていないと言う事は 今日ではわりとメジャーな考え

方で、 実際に高いビルの屋上にいる時と 地面に立っている時とでも超

超超微量なのだが、時間の流れ方は違うのだと言う。 ベッドに寝転がっ

ている時と新幹線の中にいる時とでも違うらしい。 ここに 心理学や哲

学を持ち込むともちろん話はグッと加速する。 カップラーメンを待ってい

る時の3分と、友達と熱っぽく喋っている3分とではまるで長さが違うし、

朝の10分と 夜の10分には100倍以上の体感速度差があるのは誰し

も感じるところだろう。 つまり、わりかし この世にあるいろいろなものは

いい意味で不安定で、 ぐにゃぐにゃしていて、 気の持ちようとか ふと

した要因で 伸びたり縮んだり ・・・ 様々なカタチに変わったりする事が

あるのだなあと言う話だ。 大昔の人は そういう柔軟な変化と言うか 体

感できる大きな視野と言うものがイマイチよくわからなくて この世界には

“絶対に大きなもの” とか “小さいもの” とか “長いもの” “早いもの”

が 永遠普遍、それそのもの、絶対に変わらないものとして存在している

と考えていた。(絶対主義) しかし 実際には “あれと比べて大きい” 

とか “これと比較すると早い” とか言うものしか世界には存在しないわ

けで、アリから見たら象はデカイが 宇宙から見たら 象は死ぬほど小さ

く 2年B組みで一番足が速い山田君も、 ドラッグレースカーに比べれば

死ぬほど遅いと言う話になるわけだ。 これを相対性理論と言う。(笑)

もちろん大嘘だが、目の前の霧が晴れた印象としては似たようなものだ

ろう。(コラ) とりあえず確かに言える事は、本題を先送りにして ここで

わかりもしないアインシュタインの話をダラダラしている事が かなり時間

の無駄であると言う事だ。

 

・・・ 時間の流れはさておき、 とりあえず現代日本人には時間がない。

やらねばらならない事の数や種類は人の数だけ違うが、 基本的に各人

に与えられる時空間リソースは同じである。 よって 限られた時間の中

でいろいろな事を同時に処理したりする場面が出て来る。 仕事をしなが

ら昼食を食べ、 電車で移動しながら新聞を読み、 寝ながら漫画を読み

歩きながら小説のネタを考えながら携帯で新刊漫画の発売情報を取り入

れながら漫画本屋に入りながらコスプレ店員を見て気分を害したりする。

早い話が忙しいわけだ。 (もっとも、忙しいと言うのは精神的な幻覚に近

い) で あるからして、 いつものようにここで私が 『 オーディオがさぁ

〜 』 とか 『 このCDの曲がさぁ〜 』 とか 『 この漫画がさぁ〜 』 

とかゆーても 『 そんなもん聞いたり見たり読んだりしてる暇が こちとら

ねぇんでぇ べらぼうめ! 』 と言う現象が往々にして起こるのである。

しかしまあ確かに 一週間のうち 何時間も、何日も ゆったり椅子に腰

掛けて 高級オーディオを前に ワイングラスでも傾けながら 静かに音

楽を聞くような生活ができるブルジョワハイソサエティーな ビンラディン

氏が見たら真っ先に殺したくなるであろう 贅沢な生活ができる人などほ

とんど存在しないだろう。 余談だが 狂信的なイスラム原理主義過激派

のメンバーは 自分達のリーダーであるラディン氏ほど俗っぽい金持ち野

郎に疑問を抱いた事はないのだろうか?(笑) 種類は違うが新興宗教に

おいて その宗教に属する人々全部の中で 一番その “教え” に対し

て信仰心が薄い(つまり あまり信じていない)のは、 入信したばかりの

信者でも 中堅信者でもなく、 実は他でもない リーダーの教祖様であ

るという話がある。 そりゃ〜まあ 自分が 『 ○○神様は これこれこう

いう神様で、 こういう教えを言っているんだよ 』 と言う話を作っている

わけだから、 まともな理論的思考があるなら 自分でそれを100%信

仰したりはできないだろう。 ・・・ 何の話だっけ? ・・・ ああ、そう 時間

がない人が多いので おそらくオチオチ音楽を聞いてなんていられないだ

ろうと言うわけだ。

・・・ しかし、音楽を聞きたいと言う欲求は 音楽が好きな人ならば忙しい

中にもあるだろう。 車を運転している時、 単調な仕事をしている時、

歩いている時、 自転車に乗っている時も音楽を聞きたいと言う人は結

構いる。 かく言う私も、 靴を履いて外に出かけるように 小型のポータ

ブルラジオや MDウォークマンなどを必ず持って出かける。 思い返して

みるとここ数年 ・・・ その手の“音楽を聞く装置”を持たずに家を出た事

はただの一度も無い。 例えどんなに近いレンタルビデオ屋・コンビニに

出かける時も欠かさない。 意地やポリシーと言うより、文字通り靴を履く

ような気分なので “クセ” になっているだけだろう。 

だが クセ だろうとなんだろうと、 そうして聞く ・・・ いわば “ながら”

の音楽が 一日 ・・・ いや 一週間の “音楽を聞く時間” の大半を占

めてしまうのであれば、 それはかなり重要な事であると言えるだろう。

例え1千万円使って 凄いオーディオルームを作り、凄い装置を並べて

凄い音を出したとしても、 聞いている暇がなければまるで意味がない。

家に帰れば一千万円の音が聞けるのに ・・・ と 毎日思いながら、歩き

つつ何時間も980円のラジオで 100円くらいのイヤホンの音を聞いて

いるのは最大のナンセンスだ。 (それが好きなんだとか 粋なんだとか

言われたら話は別だが。(^_^;))

同じような現象として、 “高いスピーカーを買っても 女房や隣の家の人

の苦情が怖くて大きな音が出せない” “夜しか聞く時間がないのに、夜

には聞けない・・・” など 悲しいかなナンセンスな状況は多い。 オーデ

ィオ雑誌をめくってみると “どのアンプが凄い!” とか “この最新スピ

ーカーが今熱い!” みたいな特集にまぎれて “いかに女房の機嫌をと

るか” “娘が寝られないと怒鳴り込んで来やしないかと ビクビクしなが

らボリュームを回す日々はもう嫌だ” とか言う文字がチラホラと見える。

“新しいアンプを買うより、その金で奥さんにアクセサリーでも” “夜、小さ

な音量でもいい音で聞けるコンポを” ・・・ 時代錯誤な趣味に対する世

間の風当たりは 木枯らしのように冷たくなる一方だ。 (T_T) かく言う

私も 現在遊び中のPCシアターに スーパーウーファー(低い音を機械的

に発生させる特殊なスピーカー)を面白おかしく導入してやろうと、そこら

へんのゴミ箱にユニットを取り付けたり いろいろやっているのだが、いざ

映画で大迫力の低音を部屋に響かせてやろうと思っても 家の人や近所

の事が心配で ほんの少しだけボリュームを絞り、効果を一瞬確認した

だけでスイッチを切って 後はヘッドフォンに切り替えて映画を見たり・・・

悲しい世の中である。(T^T) ( 北海道やアメリカの人はええなぁ )

 

とどのつまり、音楽やオーディオを趣味とする愛好家は そういうような試

練の中で知恵を絞り、沢山の音楽を聞いたり いい音で音楽を聞いたり

しなければならないわけで、 例えば出歩く時に装着するイヤホン・ヘッド

フォンに凝り、より高音質のものをもとめて 数万円単位を支払ったり、

車の中で聞くカーオーディオをすべて異次元のグレードのものり取り替え

る改造に意欲を燃やしたりする人が出現する。 自分が無理なく一番良く

聞く装置に 一番手間隙をかける ・・・ と言う、 見た目は変だが内容的

にはじつに合理的な手段であろう。 そうした意味では まともなオーディ

オ装置の前に座る時間を作り出す事も “趣味的努力” の一つと言える

のかもしれない。( 例えば引っ越したり、仕事のやりくりを工夫したり )

 

そこで こうした考えに沿って 日頃の生活を振り返ってみると、 案外

気が付かなかった音楽を聞ける場所が存在する。 例えばトイレやお風

呂。 普通の人は普通にお風呂に入るので 風呂場は風呂場なのだが、

私のように 風呂場に本や漫画やラジオを持ち込む人間にとっては、風

呂場は風呂場でありながら 読書場であり、音楽鑑賞の場所でもあるわ

けだ。 風呂場用のテレビを置けば、そこは居間にもなるかもしれない。

こんなような調子で家の中を見回していると 意外に音楽を聞くための空

間と言うのは存在する。 例えば少し前に一部でのみ流行った三栄ハウ

スの吸着型セラミックススピーカー “セミ” なんかを入手して、家のい

たるところに貼り付けて生活をしてみて 自分に合った 真のリスニング

ポイントを探してみるなんてのも 面白いかもしれない。



(セミはスピーカーではなく、貼り付けたものをなんでもスピーカーにして
 しまうと言う かなり独創的で画期的な商品。音はどうあれ実に面白い)

(大音量や大迫力を期待する商品ではないが、貼った素材によって音質
 が変わったり、貼った物の面積などによって音の大きさが変わったりす
 るので 音と言うものを良く知る良い教材にもなるだろう。詳しくは公式
 サイトにCMムービーもあるので そちらを参考にされたし。)

・・・ そんなわけで、 BGM的であれ “ながら”的であれ、 音楽を効率

よく、沢山聞きたいと言う自然の欲求に沿って部屋の中を見回した結果、

数年前より私が実戦している 新しいリスニングポイント。 新しい音楽鑑

賞のカタチ。 それが “ベット・タイム・サウンズ” なのである。 (続く)