1977.8.10読売新聞「社説」
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■ 最高裁第二小法廷は九日、狭山事件の上告を「決定」で棄却した。石川一雄被告の 有罪と、無期懲役の刑が確定したわけだが、この結末は、意外というほかはない。われわれは、最高裁が下した 突然の「決定」に、重大な疑問を抱かざるを得ない。 ■ 疑問の第一は、弁論を開くことなく、いわば、門前払いの形で、有罪の結論を出した ことである。 ■ 疑問の第二は、被告にとって、多くの有利、不利な証拠や事実があり、最高裁自らがいうように、 「解明されない部分」があるにもかかわらず、有罪の結論に沿って、証拠が取捨選択された傾向があることである。 ■ 確かに、刑事事件で最高裁が、必ず弁論を開く慣例は、死刑事件についてだけだと されている。また、世論やマスコミの動きに動揺すべきでない、という司法の自負もわからないではない。 ■ しかし、もしそうした考え方に裁判官がとたわれたとしたら、真実の発見と、司法の威信の ために、まことに残念である。単に、社会の耳目を集めたということでなく、現実に問題をはらんだ重要な事件ならば、 弁論を開いて何の不都合もないはずである。これまでも、青梅事件のように、死刑事件以外で弁論を開いた前例 がないわけではない。 ■ 三鷹事件のあと、一審の無期懲役が二審で死刑にかわった事件では、上告審は 弁論を開いてきた。その逆に、石川被告は、一審の死刑判決が、二審で無期懲役に減刑されたのだが、えん罪 を主張する被告にとって、それは、有力な防御権を奪われたという面では、むしろ不幸な裁判経過となったわけである。 この相違をみるだけでも、最高裁は弁論を開いた方が公平ではなかったか。 ■ また、最高裁は、「決定」としては珍しく、事実認定に職権で、かなり詳細な調査と判断を 加えている。しかし、弁論を開かないため、反論のない一方的な証拠の判断に終わったきらいがある。例えば、 「記録による」として、留置場の壁面のわび文句、被害者の父親への手紙、二審裁判長への犯行自認の上申書 などを、「深い反省と悔悟の情を表している事実」とみている。 ■ まさに、これと同じように、「自白の真実性を知る重要な手がかり」とみなし、結果的には 裁判所がだまされた貴重な教訓として、われわれは、八海事件の真犯人、○○○の最高裁への上告を挙げる ことができる。このような失敗例が、今度の判断の過程で、十分に検討されたであろうか。 ■ 率直にいって、今回の最高裁の早い事件処理が、多くの人の目に異様にうつった ことはいうまでもない。最高裁決定は、「部落差別を是認した予断と偏見は捜査にも裁判にもない」とした。しかし、 被差別部落を念頭に置いた捜査官らが全くなかったと、いえるだろうか。 ■ このように問題点の多い事件を、最高裁が「有罪とすることに合理的な疑念をさしはさむ 事実はない」としたことに、われわれは”疑わしきは罰す”という旧来の考え方をみた思いがする。
【解説】 ■1974年10月31日の東京高裁の差別判決である寺尾判決に対しておこなわれた上告 を、最高裁は3年後の8月9日一切の弁論もなく門前払いしました。第三の人権無視である(第一は1963.5.23石川一雄さんの不当逮捕、第二は1999.7.8新証言や筆跡鑑定をもっておこなわれた再審請求を一切の 事実調べ無く棄却した「狭山事件高裁第二次再審請求棄却」)不当な上告棄却決定に対して読売新聞が訴えた社説です。文中に被差別部落 に対する予断の有無が論じられています。中田善枝さんが誘拐され目前の犯人を取り逃がし、かつその遺体が発見されてから、警察当局は犯人逮捕の至上命令を受けてなりふりかまわず近くの被差別部 落に的を絞り、無実の石川さんを捕らえ犯人にでっち上げました。石川さんはその朝5時前、何も知らずパンツ一枚で寝ていたと言われています。被差別部落に対する見込み捜査と取調べがなかったとは・・なんという 開き直り判決でしょうか。 ■問題の判決文全文はこちらでご覧ください。さすが長文です。 「棄却決定」の根底にある・・被差別部落に対する予断と偏見はない・・という司法の傲慢さには実に悲しいものがあります。 |
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