■石川早智子さんからのメッセージ■
青森の皆様へ
■このたび青森の地に東北初の「住民の会」が発会したことをお伺いしました。多くの人に狭山事件のこと、石川一雄のことをぜひ知って頂きたいと願う私たちにとって、とても心強くうれしいことです。
■狭山事件は1963年5月1日に発生しました。5月23日、当時24歳だった石川一雄が別件で逮捕されました。約1ヶ月にわたり無実を訴えますが、警察の留置場で連日長時間取り調べられ、脅迫や甘言、誘導によってウソの自白を強要され、犯人にでっちあげられました。一審はたった半年の裁判で死刑判決、二審で無期懲役刑に処されました。
■石川一雄は被差別部落で生まれました。家が貧しくてほとんど学校に行っていません。小学校5年生になると農家に年季奉公に出されました。平仮名も満足に書けなかった石川一雄が、自分の無実を訴えるため、獄中で必死に勉強をしました。文字を覚え、その文字で多くの人に「冤罪」を訴えつづけたのです。無実でありながら、死刑判決を出され、極限の状況の中で、その苦しみや怒り、悲しみを力に変えたのです。
■1994年12月21日、多くの人のご尽力で、仮出獄という形ではありましたが、31年7ヶ月ぶりに、ふるさとに帰ってきました。
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「冤罪の受刑生活解かれども 故郷に立ちてわれは浦島」
■ふるさとに帰っても、息子の無実を訴えつづけた父や母はすでに亡く、友人の顔さえわからなかった石川が最初に詠んだ短歌です。
■狭山事件は発生の日から今年で40年になります。冤罪を訴えて39年の歳月が過ぎ石川一雄は64歳になりました。
それでも彼は決してあきらめたり、悲観してはいません。「真実は必ず明らかになる」と信じているからです。
■検察庁には、狭山事件に関する多くの証拠が隠されたままになっています。警察や検察には私たちの税金で集めた多くの証拠を出して頂きたい、裁判所は検察庁にこれらの証拠を出すように勧告をしていただきたい、公平公正な裁判をしていただきたい、と願っています。
■多くの人に狭山事件のこと、石川一雄のことを知っていただきたいのです。
■石川一雄には選挙権すらありません。彼の基本的人権、人間の尊厳は奪われたままなのです。このままでは死んでも死にきれません。
■彼には「二度と石川一雄を出してはならない」という思いがあります。そして「冤罪が晴れたら1日も通えなかった中学校に行きたい」という夢があります。
■■どうかこの夢をかなえさせてください。
■狭山事件の再審が1日も早く開始されるよう、青森の地からお力添えいただけますことを心よりお
願い申し上げます。
石川 早智子
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